JUGEMテーマ:こころ

 

 

暑い 熱い〜

 

最近の身に起こる体調の変化を、この時期の理由にすることもあるけれど、

 

 

身体が重い〜〜

だるい〜眠い・・

 

 

それを感じつつも、これが聞こえてくると、自然に身体が動きだす。

 

 

上手い下手とか全然関係ない!

ただ、ただ踊る。

「身体を動かす」というより「身体が自然に動きだす」感じ。

それがまた楽しい↑↑

 

 

手、足、腰、肩、首、腕、指先、

感覚に身を任せて、身体の動きを楽しむ。

伸ばして、曲げて、回って、飛んで・・・

 

筋肉だけじゃなく、関節だって使ってるのがわかる。

とにかく全身を使って、全身で表現してみる。

 

 

心が柔軟になると、身体も自然に滑らかになるみたい。

 

 

凄いな〜~~

ダンスって。

 

 

「しなやかに」とは、全然言えない。

首だって回らないし、手も回せないよ〜〜泣

 

でも、それを楽しむ感じがまた楽しいのです。笑

 

 

私が素晴らしいなと感じるのは、1曲の中に、

動と静

攻める、受ける

強さ、しなやかさ

等、

まるで、女性性と男性性を、

全身を使って表現しているかのように感じるから。

 

相反するものが見事に表現されている、

その艶やかさに、魅力を感じているのかな?

 

 

ダンスは自己表現と言われるけれど、

自分の中にあるものを、身体を使って外に表現すること。

 

そして、

音との切っても切れない関係性。

 

 

私は、

そこに音楽があるから身体が動く、

ということに慣れているけれど、

身体の動きに伴って、心が開放されていく感じは、誰もが持っているのかもしれない。

 

それは、はるか昔、

ダンスは、神への祈りでもあったといわれることに、何か繋がりがあるのかもしれないな。

 

政治や感情の面での対立はあるけれど、関係をひとまとめにしないことが大切なのかなと・・

争いからは何も生まれないと感じながら、

争うからこそ生まれる「何か」を産み出せたらいいなとも思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:こころ

 

最近、

子どものころに読んでいた本の題名が、ふと浮かんだ。

 

1つ浮かぶと数冊、何となく題名を思い出し、無性に読みたくなった。

 

 

こんな時、現代は便利。

キーワードを入れて検索してみる。

 

すると・・・・・

 

あったあった!!

これこれ!!!!

 

早速、図書館で検索してみる。

 

読みたかった本は全てあって、予約もできた。

 

 

実際に本を、手に取ってみると、

長い歳月によって、痛みがかなり進んでいるものもあった。

 

 

変色し、ボロボロになったページを慎重にめくる。

数十年の時を経て、今ここで再会できたことに、

ひときわ嬉しさが増してくる。

 

 

 

初版発行年月日を見ると、不思議なことに大体、同じ頃だった。

その頃は、よく本を読んでいたことを思い出した。

 

 

本の内容は様々だけれど、いずれも、

学校や家庭を舞台に、ちょっとした事件をもとに、

登場人物である、友人、家族、先生、大人達との

人間関係を通して、主人公が変化し成長していくものだった。

 

 

大人にとっては、日常の些細な出来事。どこにでもありそうな。

でも、子どもにとっては、それが大事件であり、謎でもあり・・・

 

 

子どもの視点、子どもの世界にいながらも、

家庭と社会

私と他者

繰り広げられる当たり前の日常の中で、子どもながらに感じる迷いや葛藤。

そこを経て、成長していく姿に勇気をもらっていたのかもしれない。

 

 

 

本の中の子ども達は、当時の私に何を語りかけていたのだろう?

 

 

年季の入った古い本から、今、感じるもの。

あの頃の私。

 

 

子どもの私に帰ってみる。

あの頃、見ていたこと感じていたこと。

記憶を辿ってみる。

 

 

そこには、大人になってからは、感じることが鈍くなってしまった、

不思議なものに触れたくなる、好奇心や冒険心があった。

 

 

時間がたつのを忘れ、日が暮れるまで夢中になって遊んでいた、あの頃。

 

 

家に帰りたくなかった日、

そして、

お迎えが待ち遠しかった日。

 

 

 

全ては、もう思い出すことができないけれど、

大人になって随分経つ、今の私が、

読みかえす本から感じた、あの頃の私。

 

それは、愛おしさのようなもの。

 

思わず、声をかけたくなった。

 

 

大丈夫だよ。

きっと、これからも、あなたは、

そのままで、いいよ。

心配いらないからね。

 

 

子どもの私が、しっかり私を見て、頷いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生は選択の連続だ。

 

進学、就職、転職、恋愛、結婚、出産、介護、治療、老後・・・

 

生きている限り、選択は続いていく。

 

 

今までを振り返って、

あの時こうしていたら・・・と、悔やんだり、

ないものにしたい、っていう過去もあるかもしれない。

 

 

でも、実は全てそれらは、自分が選んできたということだとしたら・・

 

 

誰かのせい、環境のせい、にしたままでいれば、変わることはないもの。

今の、そのまま、そのようにして生きていくことは、予想がつく。

 

 

でも、それはそれでいいのだと思う。

自らが選んでいる、ことに気づくのなら、

それは、自分を生きているということだから。


 

「選択すること」

そこには、自由があり、そして責任が生まれる。

 

 

自分の中の違和感や、湧いてくる何かに突き動かされて、

その時はやってくる。

 

 

日常の出来事の中、

苦痛や、不安や、痛み

けして良い状態でない状況や、状態からやってくるのだろう。

 

 

それを、どう捉えるか??

 

良いか悪いか?

正しいか?間違っているか?

 

 

世間で言われることを、そのまま受け止め、評価し始めている自分に気づくこと。

 

 

他者や、世間に翻弄されながら、自分を見失いそうになりながら、

違和感を持つ自分に気づくとき。

 

 

その時こそが、自分に出会っていく、きっかけになるだろう。

 

 

変身する?しない?

 

どちらもOKだし、

変身の度合いも、人それぞれ。

 

 

そんな変化を

楽しんで、面白がって、信じて生きてみたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:日々のくらし

JUGEMテーマ:こころ

 

香りを感じる嗅覚は、脳の原始的な部位といわれる大脳辺縁系と関係しています。

ここは、食欲や性欲や意欲などの本能や、喜怒哀楽の感情を司る役割を持っています。

 

過去に、ある匂いを嗅いだ時に心地よさを感じ、それが記憶されると、

それは、後に快をもたらす香りとなるようです。

 

例えば、子どもの時に、大好きだった祖母の家に行った時の、畳の匂いや、

お線香の香りが記憶に残っていると、その香りで祖母を思い出し、安心感や心地よさに繋がるようです。

 

自分の過去の経験を元にして、潜在意識が快、不快を判断するのですね。

 

嗅覚は、本能で好き嫌いを振り分けるので、

腐っているものを判断するなど、危険から身を守るためにも働きます。

(最近では、遺伝子レベルで相性を嗅ぎ分けている、という面白い研究も報告されてたりしますよね。)

 

 

しかし、年齢とともに、嗅覚は衰えていくようです。

嗅覚を意識的に鍛える方法としては、日常生活での匂いを意識すること。

 

飲んだり、食べたりする際に匂いを嗅いでみる。

コーヒーや紅茶等のように、匂いを嗅いで、香から楽しむ感覚ですね。

 

更に、シャンプーや香水、石鹸、花や、フルーツなど、

普段から自分の周りにある、刺激の少ない、好きな香りを1日に数種類を数回嗅ぐことで、

嗅覚が発達して脳への刺激にも役立つそうです。

 

まさしく香りと記憶を関連づける方法ですね。

 

人によって、心地よいと感じる香りは様々ですが、今の自分の身体が欲している香りといえるかもしれません。

 

 

余談になりますが・・

コンビニによって、匂いが違うのは、どうしてなんでしょう??

 

 

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:こころ

 

 

自分が感じるまま、自分がしたいように行動するのに、抵抗を覚える人は多い。(私もその1人だったけれど)

 

こんなことするなんて、自分のわがままではないか?

今まで手にしてきたものが、失われてしまうのではないか?

世間一般から外れてしまうのではないか?など

何が正しいか?と考える時点で、自分を守ろうとする反応が起きているのだろう。

 

それは、生きるうえで大切な事でもあり、当たり前の感情でもある。

 

でも、自分の外に原因や責任を求めても、苦しみは終わらない事に気づけたなら、

証拠や基準を、外に求めることを止めてみるといい。

 

人は、本当の自分の欲求を知り、自分を信頼することを怖がるけれど、

答えは自分の中にあって、何より、それが一番正しいということを、本当は知っているのだとも思う。

 

それに気づいていくには、嫌な部分を、わかったふりをして、ないものにしたり、

いけない事だと閉じ込めたりしないこと。

 

嫌な自分を排除することに必死にならないで、とりあえず、その場に置いておけるスペースを作ること。

それは、息を吐ききる事に集中すると、次は、意識しなくても自然に息をしていることに似ている。

 

すると、案外、怖い事でもなく、敵と思っていたそれは、

本来の自分に気づかせるための扉であることに気づくかもしれない。

 

 

目には見えず、根拠もない未知なものに進む生き方は、綱渡りのような危険と勇気を必要とする。

でも、先行きの見えない時代を生きている私達には、安全や安心が保障されているわけでもない。

ましてや、明日も同じように生きれるとは限らない。

 

 

全ては今、ここに。

自分に起こることに興味や関心を持って佇むこと。

 

その過程を、孤独な作業にする必要はない。

あなたの思いや感情を加工することを求められる場ではなく、

そのまま、ありのまま、あなたでいることを許される場や人との中で、新たに生まれてくるのだと感じる。

 

自分の、わがままを、正直に認めることができると、

人は皆、わがままなのだな〜と、何だか優しい気持ちになれたりする。

 

JUGEMテーマ:こころ

 

高齢化が進み、人生の最終段階での医療の在り方は、大きく変わった。

 

尊厳死が言われるようになり、延命処置を行わないことで、

安らかに、自然な死を迎える選択を、与えられる機会は増えている。

 

日本では、病院で最期を迎える方が大半だったが、

高齢化に伴い、老人施設への入所が増え、そこで最期を迎える方も、年々増加傾向にあるという。

 

死は、確実に誰にも平等に、やってくることを考えると、

自分が将来、どのような最期を迎えたいか?を考えておくことは大切なことだと思う。

 

しかし、個人的に考える機会はあっても、それを、近親者で共有する機会は少ない。

死について、話し合うことを避けてしまうのは、残されるものに働く心理か?

 

 

どのような最期を迎えたいか?

いかに本人の価値観を尊重するか?

前もって、近親者と共有することは、辛いことかもしれない。

馬鹿げたことだ、と取り合わないでいたい気持ちもあるかもしれない。

死ぬなんて・・・そんな不吉なこと・・

 

 

現代では、実際に、認知症の問題もあり、

自分の、最期をどのようにするか?は、家族に求められる現実がある。

 

 

最近は、老人施設で「看取り」を掲げる所が増えているが、

実際に、利用者の状態に合わせて、自然に死を迎える体制が整っている所は少ないと感じる。

 

 

入所した時と違って、その人の状態は、刻一刻と変化していくものだからだ。

だからこそ、医療、介護スタッフ・家族とコミュニケーションをとり、情報交換やプランの見直しが大切になってくる。

 

 

衰弱する、という事は、

 

食事が摂れなくなる。

水分が取れなくなる。

尿が出なくなる。

色々あるけれど・・・・

 

 

人は、衰弱していく人を見た時に、

無意識に、何かをしなくてはいけない、と思うのではないだろうか?

 

「何かをすること」に慣れている状態ともいえる。

自然に息を引き取る場に慣れていないのだ。

 

 

呼吸が、ゆっくり止まり、やがて心臓が止まる。

 

その最後に至るまで、見送る私達の価値観が影響してしまうのではないか、と感じる。

 

 

ただ、死を待つということは、周囲のものにとって、

不安や焦りや、恐ろしさを感じることでもあるだろう。

 

死を受け入れる、ということは、看取るものに動揺を与える。

 

 

自然に命の終わりが近づく時、

限りある生の時間を、死にゆく人と共に過ごす時。

 

何かをしなければいけない、という焦りや不安や恐怖に気づくこと、

更には、罪悪感や無力感から少し離れて、

ただ、今この時、ここに存ること、に意識を向ける時間。

 

 

この世に存在する者同士、残された時間を共有することによって、気づくことは何であるのか?

 

 

私自身、大切な人の死に寄り添った経験と、

今まで多くの方々の死に関わらせていただく中で、

今、現れた気づきを、これからも大切にして生きていきたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:こころ

 

自分の感情や思いを、否定してしまうって何だろう?

×をつける、ダメだしをするって、自分へのいじめなのに・・・

わざわざ×をつけるって?

 

自分いじめは、こうでなきゃ!とか、こういうものだ!

という「正しさ」に反応している。

過去の辛い経験や、うすうす感じている自分の嫌な部分に反応しているようだ。

 

 

過去、自分に×(罰)を与えることで、誰かを守ってきた経験があったのかもしれない。

(結局、それは、自分を守るためにしてきたことなのだけれど)


 

気づきが深まってくると、

嫌な自分を感じることさえも許せない、自分がいることに気づくことがある。

このダブルいじめの罠にはまるのは、相当に辛い。

 

 

こんな自分だから愛されないのだ、だから上手くいかないのだ、等と思って、

今まで何とか治そうと、頑張ってきたこともあったかもしれない。

 

 

嫌な感情や記憶や感覚は、普段、見て見ぬふりされているようにできている。

(生きていくために、もともと備わった機能)

 

 

だから、気づきが進むということは、けして良い気持ちをもたらすだけではない。

 

今までの方法や思考にとどまることが、何より安心というのは当たり前のことなのだ。

 

 

でも、嫌な感情や思いや感覚が表れてきたとき、

それは、もっと私を見て!ってサインなのだと思う。

 

 

どういう時に、どんな感情が湧き、どのような価値観から、その感情が引き起こされるのか?

 

 

自分に起こることを、ほんの少しでも認めてやること。

認めるまでいかなくても、それと少し一緒にいることを試してみること。

 

 

意識は繋がっているから、嫌な部分に光が当たる(意識する)ことで、

一方通行だった流れが変化し、交流し始めることで循環していく。

 

 

気づきが進んで、交流ができると、繋がりは自然に起こってくる。

 

今まで、ばらばらだった気持が、交流することによって訪れる安堵感。

 

それは、あるがままの自分と共に在ることの一体感がもたらす、心の平和ともいえる。

 

 

 

 

JUGEMテーマ:こころ

 

 

相手の話を聞くということは、自分が話すことより、難しいことだと感じる。

 

世には、聞き上手といわれる方が沢山いるけれど、

そんな方に話をした時には、自分をわかってもらえた!という、

実に気持ちのよい感じを受ける。

 

でも、実際は、そのような時ばかりともいえない。

 

 

苦しみや悲しみ、怒りといった一見、マイナスな感情を目の当たりにした時、

人は、戸惑ってしまうのだと感じる。

 

何かを言わなくては、何かをしなくては、という思いが生まれるのか?

それは、何とかして励ましたい、という思いだったり、

怒りを、ぶつけられる怖さから逃げようとして起こることなのかもしれない。

 

 

相手の辛さと距離を置くために、無意識に生まれてくるものなのか・・

 

 

他者と共に、ただ、そこに在るということは難しい。

 

 

アドバイスは、時として、相手の思いを、ないものにしてしまうことに、つながりかねない。

そんな時、相手には、共有されなかった気持ちの悪さが、残るかもしれない。

 

 

正論より共感・・・

 

 

ただ、共にいて、そこにとどまること。

相手の中で今、何が起こっているのか?興味を持って、一緒に体験する姿勢や、

それは、こういうこと?って、尋ねていく丁寧な時間が必要になるだろう。

 

 

相手に起こっていることを、判断や評価することなく共有していく時間。

そう・・・あなたに、今、そんなことが起こっているのだね、ということ。

 

 

それができるようになるには、

自分の中に、評価や判断を下している自分がいることに、気づく練習が必要だと感じる。

気づいたのなら、そこから離れ、フラットになってみること。

それは、他者と対等になるということでもあるだろう。

 

 

カウンセラーといえども、これができる方は少ないと感じる。

 

幸いなことに、私は、この姿勢を自然に学べる方達がいる。

そこに生まれるものは、

信用、信頼、尊敬、そして感謝だ。

 

 

 

あなたは、人に侵入しすぎていないだろうか?

操作ではなく、共に在ることで生まれてくるもの。

 

 

あなたに何が起こっているのか?

知りたいと願い、集中する時、そこに自然に生まれてくる、気づきがあるのだと感じる。

 

 

それを共有できること、そんな喜びに満ちた機会となるよう、

私も、まだまだ新たな自分に出会いながら、修行に励んでいきたいと思う。

 

 

 


 

 

 

JUGEMテーマ:こころ

 

 

私が、保健室で生徒たちとの関わりで気づいたこと・・・

それは、私達大人でも、悩みは共通するという事です。

 

思春期は、親や先生などを、お手本にしながら作ってきた自分と、お別れをして、

「理想」と「失望」に葛藤しながら、新な自分を確立してゆきます。

 

「本当の自分って??」「自分は何をやりたいのか?」を模索していく時期です。

また、自分が他人にどう見られているかを意識する時期でもあり、色んな葛藤の中で最終的に、

自分は、こういう人間なんだということがわかっていきます。(自分自身を客観的な目で見られるようになる。)

 

その過程を経て、他者とは違った自分、たった一人の自分を作ることで、

他者の価値観に揺るがされない自分を手に入れていくのです。

 

「自分探しの旅」とは、よく言われることですが、結局、生きていれば、いくつになっても、このテーマにぶつかります。

 

特に女性は、結婚、出産、仕事を続けるか?親の介護はどうするか?などの

選択肢が多くなります。

自由に選べる時代になったからこそ現れる問題ともいえるでしょう。

 

更に、中年の危機といわれる40代〜50代は、身体的な変調をはじめ、

子どもの自立に伴った母親役割を失う喪失感、

夫婦の共通目標であった、子育てを終える事で訪れる、関係のありかた等、

社会的な役割を離れることで、個としての生き方を問われる時期でもあります。

 

ここで、今まで未解決だったあなたの課題が浮上してくることがあります。

 

私が私として生きていくために、思春期のように、自分探しをする時期がまた、やってくるのです。

 

今まで気づけなかった(気づく事をしなかった)あなた自身に出会うための旅のお誘いです。

 

旅を、始めるか始めないかは、自分次第。

自分で選んで決断できる、自らが望む人生を手に入れたいのなら、いくつになっても遅すぎるという事はありません。

 

 

私は、セラピーをとおして、あなたが自分のために生きていく、

お手伝いをさせていただけたら嬉しいです。

 

 

JUGEMテーマ:こころ

JUGEMテーマ:それでも続く日々……の中で。

 

あなたは自分に優しくする方法を知っていますか?

どこかに出掛けたり?

美味しいものを食べたり?

ゆっくりと身体を休ませたり?

欲しいものを買ったり?

自然に触れたり?

 

 

人それぞれ思いつくことは違いますが、

自分が喜ぶことをしてあげよう!と思うのではないでしょうか。

 

 

自分が心地よいことを思いきりするのは大切なことです。

例え些細な事であっても自分が喜ぶ、ほっとするという事を、

普段から、沢山見つける事は自分探しのようで楽しいものです。

 

 

他にも、自分に優しくする方法があります。

もっと深く、自分に優しくできる方法ですよ。

 

 

それは、

自分の嫌な部分を見ないようにしない、押し込めないということです。

 

嫌だなと思う感情が現れてきたら、否定も肯定もせず、ただそれとともにいること。

 

自分勝手だって思っている自分がいるな〜

他人のせいにしている自分がいるな〜

ダメな人間だって思ってる自分がいるな〜など

 

 

ただただ、今、自分におこっていることを、自分が気づいているだけの状態、

感情を眺めているというイメージです。

 

 

えっ!?

それって、全然、自分に優しくしていないんじゃない?

そう感じる方もいるでしょう。

 

 

でも、心の奥に普段は、しまわれている自分の怒りや、悲しみや、狡さや、弱さは、

生きるうえで必要な、大切な力であり、今まで自分を守ってくれていたものです。

それを認めてほしくて、いくら抑えこんでも、何かのきっかけで、

タイミングを見計らっていたかのように必ず、その部分は出てきます。

 

 

ずっと、長い間、あなたに気づいてほしかったこと。

 

まず、そこに居場所を与えてあげる事が必要です。

 

無視しないで、その感情をに関心を示してあげることです。

 

 

「どうしたの?」

「でてきたね〜」

って、居場所をほんの少しでも与えてあげること。

 

すると、段々、落ち着いて静かになっている、自分に気づけるかもしれません。

それを続けると、心の奥の深い怒りや悲しみは段々と形を変えていきます。

普段の自分と混じりあって、今までとは違った味わいのある姿に変わっていきます。

 

 

人の言動に振り回されていると感じる方、

対人関係で、いつも出てくるパターンのようなものを感じている方。

「あの人はどうして私をわかってくれないのだろう?」

そう思う方はまず、自分の心に何が起こっているのか?興味を持ってみることです。

 

 

それができてくると、怒りや悲しみの感情に、振り回されることが少なくなり、

今までの人間関係に変化が起こってきます。

 

 

でも、これには練習が必要です。

今まで、良い自分にしか光を当ててもらえない日常を送ってきたのですから、無理もありません。

 

 

自分を変えようと努力するよりも、ありのままの自分で、い続けようとする事に勇気を持ち、

ゆっくりと時間をかける時、初めて人は変化するのです。

 

 

KIZASHIでは、ゆっくりと自分の身体の中におこる出来事に気づくことで、

あなたが、あなた自身を頼りにできるようになれるよう、お手伝いをさせていただきます。

 

 


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